ALWAYS地獄の三丁目 本当は怖い昭和30年代

 私は昭和35年生まれなので、この本の内容はかなり共感できます。特に水洗ではないトイレの話は、臭い記憶が蘇りました。また、2B弾の爆竹で銃遊びをしたくて仕方がありませんでした。衛生状態は、明らかに悪かったのはよく覚えています。治安もかなり悪く、「誘拐されるから、遅くまで遊んでいてはいけない」とよく言われました。

“ALWAYS地獄の三丁目 本当は怖い昭和30年代” への2件の返信

  1. 豊島区は水洗化が早かったと父から聞いていて、すくなくとも実家や学校ではポットンの経験がありません。下町の知り合いは小学校はポットンだったと言っています。
    あと、神楽坂の猫の話がありましたね。
    昔から神楽坂は猫ものを出していました、Tシャツとか。10年以上前はよく行っていましたが、最近は3年前くらいに昼間に大阪寿司のお店にいったくらい。あのTシャツはどうなったかな?
    誘拐みたいな話は、昔の“コトリ”の名残ですかね。ただ、東池袋のうちのあたり、子供心に“田舎だなぁ”と感じた記憶があります。

  2. setsuさんコメントありがとうございます。都内はやはり水洗化が早かったのですね。私の大学時代の岩手の寮(昭和54年)もポットンでした。
    神楽坂は、あまりぶらぶらしないで、急いで行って遅くなったから帰る、パターンです。猫グッズショップも多いので、ちょっとゆっくりしてみたいです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です